Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

藤田嗣治の対外文化宣伝映画『PICTURESQUE JAPAN(風俗日本)』:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の3)

まるきり不評だった藤田の映画「風俗日本」ですが、果たして藤田自身はそのことをどう思っていたのでしょうか。それとも、彼にとってはそんなことは“想定内”だったのでしょうか。 藤田嗣治の対外文化宣伝映画:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の2…

藤田嗣治の対外文化宣伝映画『PICTURESQUE JAPAN(風俗日本)』:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の2)

前回では、『現代日本』のうち藤田が監督した「風俗日本」各篇に関する情報を、文献資料から抽出して並べてみました。 藤田嗣治の対外文化宣伝映画:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の1) - Nipponの表象 対外文化宣伝映画の多くは、劇映画のよう…

藤田嗣治の対外文化宣伝映画『PICTURESQUE JAPAN(風俗日本)』:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の1)

今年は没後50年ということで、藤田嗣治の展覧会が開催されたり、テレビ・雑誌などで特集されています。 日本美術界においては巨匠に位置する画家です。国内外の名だたる研究者が藤田の絵画について研究しています。 そんな「フジタ」を当ブログで取り上げる…

国際観光局製作『日本の四季』(1933年)が『光画』同人にボコボコにされてた

過去に集めた資料を何気なくめくっていたところ、面白いものを見つけました。『光画』という戦前の写真雑誌に、国際観光局製作の観光宣伝映画『日本の四季』(1933年)についての作品評が載っていたのです。 『光画』は、写真家の野島康三が1932年に木村伊兵…

国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の3)

(其の2)からの続き。 国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の2) - Nipponの表象 映画はトーキーに在っては視覚と聴覚との鋭い官能から訴へる宣伝資料として思想戦の逸材である。 (『対外宣伝の研究』国際観光協…

国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の2)

(其の1)からの続き。 国際観光局の南方向け映画製作:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の1) - Nipponの表象 各国にどのような映画を見せるべきか。それを正しく判断するためには、まずその国の国民性や民族性を理解する必要があります。 『…

国際観光局の南方向け映画製作:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の1)

今回も、戦前の対外文化宣伝について取り上げたいと思います。 鉄道省国際観光局は、1930年代末頃までは、欧米人富裕層向けの観光宣伝を行っていました。この写真図版は、その頃の代表作のひとつである1936年製作の映画『日本瞥見』です。この映画は英語・仏…

南方留学生と観光宣伝映画:国際観光局製作『雪に集ふ』(1942年)が宣伝したいコト(其の2)

前回の記事では、国際観光局製作の映画『雪に集ふ』が、観光宣伝映画に名を借りた“大東亜共栄圏イデオロギー”宣伝映画であると書きました。 南方留学生と観光宣伝映画:国際観光局製作『雪に集ふ』(1942年)が宣伝したいコト(其の1) - Nipponの表象 機関…

南方留学生と観光宣伝映画:国際観光局製作『雪に集ふ』(1942年)が宣伝したいコト(其の1)

私が長く関心を持ってきた戦前の文化(宣伝)映画として、国際文化振興会(以下KBS)が製作した小学校映画について以前の記事で紹介しましたが、 プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の1) - Nipponの表象 プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」…

「写真は舌足らずである」:名取洋之助の‟体験的写真論”

名取洋之助(1910-1962)は、日本の報道写真家の草分けであり、グラフ雑誌というビジュアル・イメージ中心の新たなメディアを日本に導入したパイオニア的人物です。1920年代末にドイツに渡り、ドイツ最大の出版社ウルシュタイン社の契約写真家として活動し…

戦時下の「観光日本」:サンフランシスコ万博日本館〈婦人群像〉にみるキッチュな‟日本趣味”

昨年、アメリカのサンフランシスコ市の中華街にあるセント・メリーズ公園に、中国系米国人によって〈慰安婦像〉が設置されたとのニュースがありました。 この〈慰安婦像〉の映像をテレビで見た時、私には「あれ、なんかこれ見覚えあるな…」という既視感があ…

岸田日出刀『過去の構成』とまぼろしの朝鮮神宮

岸田日出刀は、東大建築学科教授として丹下健三など多くの建築家志望の学生たちを育成し、戦前から多くのコンペの審査員を務め、自身も建築家として関東大震災後の東大物理教室や1939年ニューヨーク万博日本館などを設計しました。 また1964年の東京オリンピ…

線路は続くよ、満洲まで…―昭和戦前期の鉄道地図と「観光日本」―

いま、私の手元に二冊の古書があります。一冊は『JAPAN』というタイトルの英文パンフレット。もう一冊は『全国旅行案内地図』という日本全国の鉄道路線図を掲載した地図です。 これは『JAPAN』(1937年頃?)の表紙・裏表紙を見開きにしたもの。高峰秀子にな…

『プレスアルト』と関西グラフィックデザイン(其の2)

前回の続き。 『プレスアルト』と関西グラフィックデザイン(其の1) - Nipponの表象 さて、戦後の『プレスアルト』のお話になります。 戦時中、亀倉雄策や原弘など東京のデザイナーたちの一部は国家機関の宣伝事業に従事することで何とか生きのびていまし…

『プレスアルト』と関西グラフィックデザイン(其の1)

戦後、高度経済成長へひたすらまい進した日本では、経済と文化の中央集権化が急速に進みました。平たく言えば、東京への一極集中です。 1950年代後半から、関西発祥の企業も本社機能を東京に移すようになりました。商業デザインはクライアント(企業)から遠…