Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

河野鷹思デザインの欧米人向けキモノ、発見。

かつて、関西には『NEW JAPAN』という英文誌がありました。これは英文毎日新聞社が1947年から74年まで、年一回発行していた日本紹介の年鑑誌です。

『NEW JAPAN』の成り立ちや制作の状況については、千田甫がインタビュー(『聞き書きデザイン史』、六曜社、2001年)で詳細を述べています。「戦後の日本の現状をいち早く諸外国に知ってもらい、戦争放棄と平和日本の姿をアピールすることが、日本に対する理解を得る最善の策と考えた」ことが、発刊の理由だと話しています。

これだけ聞くと、戦前に日本工房が発行していた対外宣伝グラフ誌『NIPPON』にイメージが重なります。事実、第6号からは原弘と河野鷹思という『NIPPON』に関わったことのあるデザイナーがディレクションを担当しており、誌面のデザインなど彷彿とさせるところがあります。

この『NEW JAPAN』にも非常に興味深いところがたくさんあり、これからおいおい取り上げていきたいと思います。

 

本日は、その中から「河野鷹思デザイン・欧米人向けキモノ」 の記事を紹介します。

 

記事のタイトルは「NEW AGE ―New Kimono」、筆者は「Takashi Kono」とあります。記事の内容は、1954年当時の日本女性における着物事情と、それについての河野の見解など。

どうやら百貨店の高島屋が、外国人女性が気軽かつスタイリッシュに着こなせる着物の販売を企画し、河野とMitsuhiko Sen(この人の正体が分からないのですが、裏千家の千三津彦でしょうか?)にそのデザインを依頼したようです。

なぜ外国人向けなのか?

どうやら河野の記事を読むに、日本に来た外国人旅行者が購入することを期待していたようです。1954年当時でも、すでに日本女性の日常着は洋服がほとんどで、フォーマルなパーティーなどでしか伝統的な着物の出番はなかったようです。だから販路を外国人に、ということでしょうか。

外国人向けといっても浅草仲見世などで売っているペラペラな安手のものではなく、欧米の上流階級層のご婦人が着ることを想定しています。

 

そのキモノですが、Sen氏が3種類で河野が2種類をデザインしてます。河野のデザインした着物がこれです。

 

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市松模様というのは、日本の伝統的文様である一方、欧米でもブロックチェックとして永く愛用されてきたデザインです。特に正方形で区切った幾何学的な形はモダンデザインにも馴染みやすく、日本のグラフィックデザイナーたちはモダンデザインの様式を壊さずに「和」の要素を採り入れたい時に、この文様をよく採用してきました。戦後日本を代表するグラフィックデザイナーの一人の田中一光も、「産経観世能ポスター」でこの文様をよく利用しています。

もうひとつ。

 

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個人的に強く興味をそそられたのは、こちらのデザインです。

全体に漢数字の明朝体タイポグラフィが散りばめられています。この明朝体タイポグラフィ、実は1950年代の日本のグラフィックデザイン界においてホットなテーマでした。1950年代に入ってから、スイス・タイポグラフィやアメリカン・タイポグラフィの大きな潮流が日本にも紹介され、日本のグラフィックデザイナーたちに多大な影響を与えました。

実はそれまで日本のポスターの文字は定規とコンパスを使った手描きのレタリングが主流だったのですが、これら欧米のタイポグラフィからの刺激を受け、日本でも活字印刷への関心が高まりました。

当然、日本のポスターで使用する文字は日本語が中心になります。日本文字の書体の研究とタイポグラフィの開発は、日本のグラフィックデザイナーたちが取り組むべきおおきな課題でした。

ちなみに日本では、文字印刷の歴史的経緯もあって、明朝体が日本語を著す活字書体です。当時、原弘、山城隆一、田中一光などいろんなグラフィックデザイナーが、美しく使い勝手のよい明朝体タイポグラフィの開発にとりかかったのでした。

そんな1950年代の日本のグラフィックデザイナーたちの“明朝体ブーム”を思い起こさせてくれる、河野の着物デザイン。タイポグラフィというよりはカリグラフィーに近い造形に見えますが。配色もいいし、全体の印象も個性的。意外と現代でもいけるデザインではないでしょうか。