Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の1)

『日本の小学校生活』に描かれた‟きれいな日本”

国際文化振興会(以下KBS)が戦前に製作した映画について、長らく調査・研究してきました。

最初に調べ始めた頃から数えると、もう10年くらい経ちます。結構な歳月です。その間、学会・研究会発表は4~5回しましたが、論文は二編、学会誌に投稿しました。しかし結局、一編しか出版できませんでした。もう一編は修正してから再投稿を求められたのですが、心が折れてそのままに…。

しかし、この知られざる映画たちについてもっと多くの人に知ってもらいたい!また自分自身のモチベーション維持のためにも、これからポツポツと紹介していきたいと思います。

 

KBSが戦前に製作した映画は現存しないものも多いのですが、組織が安定していて資金も潤沢だった1930年代に製作した映画はかなり残っています。東京国立近代美術館のフィルムセンターには所蔵されていますし、もっと簡単に観る方法としては、国際交流基金のライブラリーでDVDに焼いたものを館内のPCで観ることができます。

 

今回はKBS製作の映画の中から、『日本の小学校生活』(1937年)と『銃後の体育』(1943年)という作品について紹介します。

 

この二つ、どちらも学校生活をテーマにしたセミ・ドキュメンタリー(?)ですが、それぞれが制作された頃の時代情勢や資金状況の違いのせいか、映画の出来映えに大きな差があります。上手く出来てるのは『日本の小学校生活』のほう。『銃後の体育』は、はっきり言って時間も予算も乏しい中でのやっつけ仕事の感があります。

それにもかかわらず、『銃後の体育』にはいろいろと面白いところがあるのです。この映画には、なんと羽仁もと子・吉一夫妻が設立した自由学園が登場するのです!

キリスト教に基づいた理想教育を目指し創立された自由学園が、なぜプロパガンダ映画に?とても興味深い話ではないでしょうか。

でもその前に、まずは『日本の小学校生活』を紹介します。

 

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KBSが製作した映画のほとんどは、当時、文化映画と呼ばれていたジャンルのものです。文化映画といっても、亀井文夫のようなドキュメンタリー性の強いものもあれば、プロの俳優を使っていないだけで、脚本・演出のもとに作為的に制作されたものもあります。

KBS映画の場合は、このような映画を作る、という基本方針はKBSで決めましたが、実際の映画制作は映画会社に委託していました。

『日本の小学校生活』は、P.C.L映画製作所(のちに東宝に合併)のカメラマン・川口政一がシナリオと撮影を担当しています。

そもそもこの映画は、東京で世界教育会議が開催されることに合わせて、「日本の近代的な教育システムを諸外国にアピールしたい!」と企画されました。といっても、そもそも近代的な学校教育システムそのものが、欧米から日本へ導入されたものなわけですから、本音としては「いつまでも日本を見下してんじゃねえ!我々を欧米先進国の仲間と認めろ!!」というところでしょうか…。

 

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KBSが1930年代に製作した映画は、主に英語・フランス語・ドイツ語など欧米の言語の字幕で製作されています。しかし『日本の小学校生活』に限っては、当初から欧米の言語だけでなく、中国語版も製作されました。

欧米先進国向けと中国などアジア向けとの間で、映画の内容や演出に違いはないようです。にもかかわらず、両地域においてこの映画の持つ意味はまったく異なります。

欧米に対しては、先述したように「日本は欧米諸国と教育システム、価値観を共にする近代国家である(=だから仲良くしてね)」ということをアピールするものです。

一方、アジアに対しては「日本はアジアの中で最も近代化の進んだ国であり、優れた教育システムを有している(=だから私らを尊敬しなさい、オラオラ!)」ということをアピールするものでした。

 

映画の内容を簡単に説明すると、山村、漁村、農村、都会の小学校を舞台にしていて、ます。撮影場所は、山村は岐阜県、漁村は新潟県、農村と都会は東京です。各地域の自然環境とそれぞれの場所の学校生活が、関連づけられながら見せられていきます。

 最初の山村の学校の部分を例にとると、養蚕や畑仕事など村の営みを見せる映像が、子供たちの学校生活の映像の合間に挿入されます。子供たちは理科や国語、習字などを教室で学ぶ一方で、実習の時間として田畑に行き農作業をします。

また、測量機や耕作機の使い方を学ぶ場面なども入り、科学的で効率的な農業を学校で教えていることが示されます。子供たちがそれぞれの学校で学ぶ専門知識は、彼らが将来従事する仕事に結びついていることが、各小学校の授業の中で示されます。

 

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都会の小学校は、鉄筋コンクリート構造の近代建築であることがまず示されます。撮影場所は新宿の四谷第五小学校で、この学校は関東大震災後に防災を考慮し鉄筋コンクリートで建てられた「復興小学校」と呼ばれるものの一つです。光学の実験やミシンを使っての裁縫の時間があり、さらに剣道や体育などの授業や、健康診断・学芸会の場面などが紹介されます。

 映画の最後は、カメラで校庭を俯瞰でとらえ、女子児童のダンスや男子児童の体操のショットが交互に映し出されます。そして、男子児童、女子児童の顔がクロースアップされ、「増進される健康、啓発される智能、かうして彼等は有為の人にそだてられて行く」という字幕で終わります。

 

登場する子供たちが、みんな絵に描いたような「良い子」であるのは言うまでもありません。授業中の子供たちの背筋は常に伸びています。体育の授業の時は、ダラダラ動いてる子なんていません。恐ろしいほどキビキビと飛び箱を跳んだり、鉄棒をグルグル回ってます。

農村や漁村の子供たちは着物、都会の子供たちは洋服という違いはありますが、きれいな身なりをしています。一番嘘くさいのは、山村の子供たちが立派なお弁当を持ってきているところでしょうか。とにかく、どの子供たちも豊かそうに見えます。

 

この映画は日本の教育の現実を描いたわけでも、また描こうとしたわけでもなく、ひたすら「理想の小学校(=外国人に見せたい日本の姿)」を描いているだけなので、綺麗事だらけなのは仕方ないでしょうね。

 

同じ頃に出版された対外文化宣伝グラフ誌『NIPPON』や、KBSから出版された写真集『Elementary Education』などでも、日本の小学校というテーマはよく取り上げられていました。それらの写真を見比べると、演出や構図、モチーフなどが似通っていて、すでに対外文化宣伝用の「日本の小学校」のビジュアルイメージはパターン化していたようです。 

この映画は1937年から終戦の年まで、北米・南米・ヨーロッパ・中国などの日本領事館や関係機関に送られ、上映され続けました。

 

(其の2)に続きます。 

プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の2) - Nipponの表象