Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

戦後最初の万博で日本が見せたかったモノ(其の1)

日本館のテーマは「日本人の手と機械」

戦前最後の万博は、ニューヨーク万博(1939・1940年)です。この万博の開催中に第二次世界大戦が始まり、1940年に開催を予定していた日本万国博覧会は「まぼろしの万博」となりました。

 

それでは、戦後最初に開かれた万博は?

1958年に開催されたブリュッセル万博です。

万博には毎回テーマが掲げられます。ブリュッセル万博のテーマは、「科学文明とヒューマニズム」でした。これは全体の統一テーマですが、それとは別に、日本は「日本人の手と機械」を日本館の展示テーマとしました。

 

今回は、ブリュッセル万博の日本館の展示について紹介します。

といっても、すべての展示についてではなく、私が最も気に入っている山城隆一の展示デザインについて紹介したいと思います。

 

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山城隆一氏。彼の背後にあるものが、今回紹介したいものです。一言で言えば、会場装飾のパネルですが、とても面白いデザインなのです。

 

グラフィックデザイナー・山城隆一は大阪出身で1920年生まれ。1950年代から本格的に活動を始めました。50年代はまだデザイナーが個人事務所を構える時代ではなく、山城は阪急や高島屋など百貨店の宣伝部から本格的なキャリアを開始しました。

現在は第一線のデザイナーというと、東京で活躍しなければ何も始まらないイメージですが、実は戦前から1950年代末頃までは、京阪神には東京に負けない一流のデザイン文化がありました。そのおかげで、関西からは田中一光や永井一正など、綺羅星のようなデザイナーたちが50年代に輩出しました。山城、早川良雄、田中、永井など彼らの関西出身のデザイナーたちが、戦後日本グラフィックデザインに与えた影響はとても大きいのです。

しかし関西グラフィックデザインについては、また別の回でお話したいと思います。

 

話をブリュッセル万博日本館の展示に戻しましょう。

日本館の建築設計はモダニズム建築家として名高い前川國男が担当し、展示は、グラフィックデザインが山城隆一、展示設計がインテリアデザイナーの剣持勇、写真が渡辺義雄、場内音楽の作曲及び編曲が外山雄三でした。

日本館の展示は三部構成になっていました。

第一部は〈歴史〉、第二部は〈産業〉、第三部は〈生活〉です。それぞれの展示を詳しく説明する前に、パヴィリオンについて簡単に触れておきたいと思います。

 

日本が万博会場に独立したパヴィリオンを建てるようになったのは、1893(明治26)年のシカゴ万博からとされています。その時の日本館の外観は、なんと平等院鳳凰堂を模したものでした。

もっとも完全なコピーではなく、江戸時代の書院造りや平安時代の御所を部分的に手本にしたり、内部は銀閣寺がモデルだったりと、建築様式はごちゃまぜ状態。日本建築の粋を見せようと気負うあまりに、何でもかんでも‟盛って”しまったようです。以来、日本館といえば法隆寺金堂や金閣寺を模したデザインなど、手っ取り早く「日本の伝統文化」をアピールできる東洋的なものばかり造られてきました。

流れが変ったのは1937(昭和12)年のパリ万博から。ル・コルビュジェのもとで修業した坂倉準三が、「和の要素」もいくらかデザインに採り入れながらも全体的にはバリバリのモダニズム建築の日本館を設計しました。坂倉の日本館はパヴィリオン・コンクールで見事、グラン・プリを受賞。めでたしめでたしーーと思いきや、やはり日本政府的にはモダニズム日本館は不評だったようで、次のニューヨーク万博では伊勢神宮風のデザインになっています。

 

さて、戦後のブリュッセル万博からは、ようやく日本館にもモダニズム建築が大手を振って採用されるようになります。もちろんオリジナリティは必要ですから、近代建築の構造の中に「和の要素」をシンプルなデザインとして持ち込んだ形のものになります。 

ブリュッセル万博の日本館は、水平に広がった一階建てで、やや天井の低くなった中心から左右に屋根が傾斜しています。建物の中心に据えられた打ち放しコンクリートの柱が屋根の鉄骨を支えています。

デザインは、開放的な造りの日本住居をイメージしています。日本館の庭園には、京都の貴船、賀茂、鞍馬から運んだ庭石が配置されていました。

戦前の万博では、日本館は五重塔や城郭など高さのある日本建築を模して造られましたが、前川國男は先端的な建築技術を利用して、高さではなく水平に広がるスペースに造りました。モダンデザインを基調としながらも、日本建築の簡素美や、自然と建築の結び付きを表現する意図だったようです。

建物の壁は、上部と下部がガラス張りになっており、内部から見て開放感のある造りになっています。壁の外壁は白壁と黒く染められた間柱との組み合わせになっており、これによって日本建築の雰囲気を表現しようとしたようです。

また、建物の土台部分が石垣になっています。実は日本館はやや傾斜した場所に建てられていたようで、石垣の採用は、その立地が関係しています。石垣の厚みを建物の立地に合わせて変えることで、立地の傾斜と建物の水平性のバランスを取っているのです。実用とデザイン性の両方を兼ねた面白いアイディアです。

 

それではいよいよ内部の展示へ。(其の2)に続きます。

 

戦後最初の万博で日本が見せたかったモノ(其の2) - Nipponの表象