Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

戦後最初の万博で日本が見せたかったモノ(其の2)

戦後最初の万博で日本が見せたかったモノ(其の1) - Nipponの表象

「て」の展示

日本館の展示は、パヴィリオンを設計した前川國男が 中心になって基本構想が練られました。

これは重要なことで、戦前の万博では建築家は日本館を設計するだけで、展示のほうは三越など百貨店が請け負っていました。両者の間に協力関係はなかったので、展示はバラバラだったのです。ようやく戦後になって、全体のイメージを統一してコーディネイトするという発想があらわれたのです。

グラフィックデザイナーが日本館の展示に全面的にかかわったのも、ブリュッセル万博が最初です。これも前川が、展示の成功には優秀なグラフィックデザイナーやスクリプターなどの人選がとても大切であると主張したからでした。現在なら、こういった大型プロジェクトに個人のクリエイターが指導力を発揮することは珍しくないですが、戦前は何でも官主導だったわけで、その意味で民主的なやり方を採用した最初の万博でもあったのです。

 

前川から展示デザインを任された山城隆一は、日本館全体のテーマカラーをまず考えました。日本館の建物全体の印象から、京都御所の白壁をイメージし、白を基調として伝統的な日本の色である紫・朱・金の三色をまず選びましたが、結局その中から、発色が最も安定していてイメージ通りの色が出る朱色をテーマカラーとしました。

 

さて、三部構成の展示内容をざっと説明します。第一部の〈歴史〉は、その名の通り日本の歴史を見せることが目的なので、埴輪や縄文土器、陶磁器、銅器、正倉院御物などの文化遺産が展示されました。これら展示品の背後の壁面には、山城がデザインした五種類のパネルが飾られていました。

 

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どれも展示品をモチーフにしています。縄文土器や茶碗をデザインしたもの、能衣裳の伝統的な紋様や矢立をアレンジしてデザインしたものなどでした。写真はモノクロで分かり辛いですが、実物は暗めの青や抹茶、紅紫、金茶など渋めの色を使い、一部に銀の箔押しを用いています。もちろんこの配色も、日本的な雰囲気を考えての選定でした。

 

第二部の〈産業〉は、渡辺義雄が撮影した造船所や発電所などの写真パネルと、電子顕微鏡やトランジスターなどの光学機器類が展示されました。ここでの山城の仕事は、写真パネルのトリミングと、その構成です。

写真パネルの展示は戦前の万博からありましたが、1937(昭和12)年のパリ万博以降、大型化していきました。その究極が、戦前最後の万博であるニューヨーク万博です。ニューヨーク万博の日本の展示では、最大のもので縦8メートル横33メートルという当時としては桁外れに大きな写真パネルが展示されました。日本が誇る富士山の全景を撮影した写真です。

ブリュッセル万博ではそこまで巨大な写真は展示されませんでしたが、他にも日本列島の航空写真や広島の原爆投下後の風景写真なども展示されました。

 

今回、私が紹介したい展示は、第三部の〈生活〉の壁面に展示されたパネルです。この部屋では日本の伝統工芸品、とくに日常生活で使用するような工芸品が展示されていました。

このセクションのテーマは、「伝統をつぐ手」でした。そこで山城は、「手」をひらがなの「て」におきかえてパネルにデザインし、これを壁面の重要な装飾としました。

このパネルは、それぞれ字のポイントが異なる二種類のデザインで作られました。

一つは、金色の地の上に黒で大きく「て」の字がシルクスクリーン印刷されたもので、もう一つは、明るい紫色の地色の上に銀色でやや小さめの「て」の字を刷り込んだものです。

 

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実物は、インクを何度も刷り重ねて作られたようです。そのため文字の重なった部分には厚みがあり、立体感のある仕上がりになりました。

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言ってみれば単なる「て」の繰り返しではありますが、このデザインには、山城の個性と1950年代という時代性を感じさせる面白さがあります。

山城の1950年代の代表作に《森・林》(1955年)というポスターがあります。これはタイトル通り、「森」「林」という文字の集まりによって、森林のイメージを表現した作品です。このポスターは発表当時、多くのグラフィックデザイナーに影響を与えました。日本文字タイポグラフィの歴史に残る傑作です。

実は日本では1950年代初頭まで、ポスターなどに使われる文字は手描きのレタリングがまだまだ主流でした。そうした手仕事的な日本のグラフィックデザインの世界に、写真植字という機械による複製活字技術が徐々に導入されたのが1950年代のことです。

山城は手描き文字に替わる写植文字の登場を喜びました。彼は日本文字(明朝体)を美しいカタチとして捉え、日本のグラフィックデザインの世界に、「文字によってイメージを創り出す」 という新しい風を吹き込んだのです。

 

「て」のパネルはひらがなのみの構成で、完全にフォルムとしての面白さだけを追究したものなので、《森・林》とはタイプが異なりますが、デザインとして面白いと思います。このパネルの他に、渡辺義雄が撮影した手のクロースアップ写真も飾られていたようです。外国人にひらがなの「て」は読めないでしょうが、写真との相乗効果が考えられた上での展示だったのでしょう。

ブリュッセル万博以降、豊口克平や田中一光など、グラフィックデザイナーたちが日本館の展示をデザインしていくことになります。