Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

1936年ベルリンオリンピック芸術競技に出品された日本のクラブハウス建築

戦時下のクラブハウス建築

オリンピックといえばスポーツの祭典というのが常識ですが、実は戦前のオリンピックではスポーツ競技とは別に「芸術競技」なるものが併催されていました。

1924年にパリで開催された第八回オリンピック大会から実施され、日本も1932(昭和7)年7月にロサンゼルスで開かれた第十回オリンピック大会から参加しています。

オリンピックと芸術。

たしかに芸術もコンクールなどあって序列と無縁ではありませんが、なぜオリンピック?と思いますよね。しかしこれには当時としては一応、理屈がありました。

 

 この芸術競技に参加するにあたって、大日本体育芸術協会という団体が設立されています。文部大臣を顧問とし、日本画・洋画・版画・美術工芸・建築・写真などそれぞれの分野の大家29名が会員です。これらの人々が、出品にふさわしい作品の調査や審査を行いました。

この協会の沿革を読むと、オリンピックの起源について面白い一説が紹介されています。

その説によると、そもそものオリンピックは、ギリシャ人が自分たちを人類の中で最も美しい肉体の持ち主であると信じ、これを人類の標準体型とすべきと考えたことから始まったというのです。

自分達が他の附近民族と比較し、最高體型美を獲てそれを人類の標準體型として、他をしてこの標準體型に向って優生学的に総べての人類を向上せしめようといふ理想から、藝術家にその標準體型を作って貰ふことにして、その方法を講じたのが、オリンピック祭なり

 

つまり、芸術家が理想の「標準體型」を作るためには、各種の運動競技で身体各部を鍛えあげて肉体美をつくり上げたモデルが必要なので、そのためにオリンピックを開いたんだよということのようです。

これは学者の説らしいのですが、肝心のその学者の名前が書かれていませんので、どこまで本当なのかあやしいです。

 まあとにかく、古代オリンピックにおいては芸術が主役だった!ということで、大日本体育芸術協会によれば、むしろ芸術競技こそがオリンピックの歴史からみて最も重要な競技ということになります。

 

では具体的にはどういう作品が出品されたのかというと、一言でいうと「スポーツが主題の作品」です。

例えば第十回の芸術競技には、萩生天泉《蹴鞠》、池田幸太郎《釣魚》などの日本画7点、南薫造の《スキーヤー》、仲田菊代《夜間競泳》などの洋画が14点、川上澄生《野球大会之図》、棟方志功《ホースレース》などの版画17点が出品されています。面白いのは建築部門で、これはプールや野球場などの建築物です。もちろん出品の際には写真や図面だったでしょう。

スポーツといっても別にオリンピック競技でなくても良いらしく、「褒賞」を受賞したのはなんと、長永治郎の《虫相撲》という日本画でした。

 

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さて、長い前置きになってしまいましたが、今回紹介したいのは、第十一回芸術競技に出品された岸田日出刀の《日本のゴルフ》という作品です。

 岸田日出刀と聞いてすぐにピンとくる人は日本建築史に詳しい人かもしれません。彼は建築家ではありましたが実作で名を馳せたというよりは、明治時代から日本の建築界の巨大な山脈であった東京大学建築科の教授として、丹下健三など多くの学生を指導したことで知られています。

岸田は理論家としてセンスのある人でした。彼が戦前に出版した『過去の構成』『現代の構成』という二冊の理論書は、当時、大きな反響を呼びました。

とくに『過去の構成』は日本の古建築をモダニストである岸田の視点でとらえ直したもので、その斬新な発想は若い建築家や学生に影響を与えました。戦後には建築以外のデザイン系のクラスでも、このテキストが参考書にされたほどです。

 

建築家としてはそれほど多くの作品を残していませんが、私の中で岸田日出刀の建築といえば、1939年ニューヨーク万博の日本館ですね。これは伊勢神宮を模した神明造りのパヴィリオンでした。

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坂倉準三が設計した1937年パリ万博日本館のモダンさに比べると、パヴィリオン建築のデザインとしては後退した感が否めませんが、戦時下で何かと伝統回帰していた当時の日本の状況では、ああいうデザインが精一杯だったのではないかという気もします。

 

さて、岸田の設計したクラブハウスですが、こちらもかなり日本的なデザインです。

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これは彼が設計したクラブハウスを8枚の組み写真と設計図で一枚のパネルに仕立てたもののようです。このかたちで芸術競技会場で展示されたのでしょう。

広いロビーやゴルフコースを一望できるバルコニーなどもあり、内部構造は梁の形とか近代的な工法のように見えますが、外観を見るかぎりはかなり和風です。

このクラブハウスがどこのものなのかは、あいにく分かりません。

岸田は同じ頃、「日立ゴルフ倶楽部ハウス」も設計していて、そちらも展望のよい広いバルコニーを備えていますが、外観は完全に和風です。

 

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結局のところ、このような和風デザインだった理由は岸田の作風だったのか、それとも時代のせいなのかはよく分かりません。また建築の場合は、施主の好みや要望も配慮されます。 ただ岸田の設計したものは基本的に、いかにもモダニズムっぽいピカピカした感じのものはあまりない気がします。

 

確かに、1930年代の日本の建築界の状況として、欧米モダニズム建築のスタイルに「日本らしさ」や「日本的なもの」を取り入れることで、日本の建築デザインとしてのオリジナリティを創りだそうとする動きがありました。

この時代のことは井上章一さんの著作に詳しいので興味がある方はそちらを参照していただきたいと思いますが、私は岸田のクラブハウスに関しては、やはり「日本のオリジナリティ」についての彼自身の実験もあったのではないかと思います。

西洋から近代的なシステムや学問をほぼ一方的に摂取するだけだった日本人が、「もう物真似ばかりとは言われたくない!」とオリジナリティを模索していくと、「日本の伝統」に行き着くのは今も昔も変わりません。

日本的な造形や日本固有の様式を、デザインに採り入れていく傾向になるようです。

グラフィックデザインではその動きは戦後になってからあらわれましたが、建築は1930年代にその大きな波が来たのかもしれません。