Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

線路は続くよ、満洲まで…―昭和戦前期の鉄道地図と「観光日本」―

いま、私の手元に二冊の古書があります。一冊は『JAPAN』というタイトルの英文パンフレット。もう一冊は『全国旅行案内地図』という日本全国の鉄道路線図を掲載した地図です。

 

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これは『JAPAN』(1937年頃?)の表紙・裏表紙を見開きにしたもの。高峰秀子になんとなく似てますが、名前は明記されていません。

これはおそらく鉄道省の観光局あたりが外国人観光客誘致のために発行した、日本紹介のパンフレットでしょう。日光東照宮や大阪城など名所の写真や、日本の教育、伝統行事、産業、景勝地などが、36ページほどの誌面にぎっしりと紹介されています。

 

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こちらは『全国旅行案内地図』。縦25cm、横11cmの長方形に折りたたまれていて、広げると2m以上の横長の地図になります。

これは1934(昭和9)年発行の雑誌『婦人倶楽部』7月号の付録だったようです。その当時の書き込みかどうかはわかりませんが、以前の所有者が赤鉛筆で書き込んだ跡が残っています。

 

外国人向けと日本人向けと、誘致のターゲットは異なりますが、興味深い共通点があります。それはどちらも台湾・朝鮮・満洲国を「日本」観光の一部としているところです。

これは当時、これらの地域が日本の占領・植民地であったことから考えれば当然といえば当然のことなのですが、こうして地図として眺めるとあらためていろいろ考えさせられますね。

 

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『JAPAN』の見開きページ。赤いラインは主要な鉄道路線を表しています。満洲国以南の南京・上海もしれっと入ってますが…。

 

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『全国旅行案内地図』の朝鮮・満洲国鉄道路線図。画像では切れていますが、朝鮮の右ページは台湾の鉄道路線図になっています。

 

この二冊を見て私が感じたのは、当時の日本(というか鉄道省)が観光資源の開発にかなり前のめり状態であったのだな、ということです。

『JAPAN』には、もちろん台湾・朝鮮・満洲国の紹介ページもあります。欧米諸国の富裕層にとって当時の日本は極東のマイナー国であるし、何より遠すぎます。鉄道省は、台湾・朝鮮・満洲国という日本とは風土・風俗の異なる地域もセットにすることで、魅力倍増を狙ったことでしょう。また、中国大陸を日本への玄関口の一つとすることで、ヨーロッパから陸伝いでやってくる観光ルートも提案できます。

日本人旅行客に対しては、これらの‟異国だけど異国じゃない”土地は、他の外国を旅する場合ほど費用や物理的ハードルが高くないうえ、日本国内では得られない新奇な体験を得られる手軽な海外旅行なのですから、魅力的でないはずがありません。もっとも、そうは言っても現実に大陸旅行まで出来た日本人は当時はまだ数少なかったでしょう。とはいえ、戦前の高等学校生徒の修学旅行の行き先にもなっていたくらい、身近な地域でもあったのです。

昨今の日本でも官民あげての「観光日本」キャンペーンのために世界文化遺産やら何やらと観光資源の開発に余念がありませんが、観光地としての魅力づくりはなかなか簡単にはいかないものでしょう。戦前の日本は、戦時下の占領・植民地化によって、かくも容易く‟持ちゴマ”を増やすことができた――というのは少々うがち過ぎな見方でしょうか?