Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

岸田日出刀『過去の構成』とまぼろしの朝鮮神宮

岸田日出刀は、東大建築学科教授として丹下健三など多くの建築家志望の学生たちを育成し、戦前から多くのコンペの審査員を務め、自身も建築家として関東大震災後の東大物理教室や1939年ニューヨーク万博日本館などを設計しました。

また1964年の東京オリンピックでは、オリンピック施設のプロデューサーを務め、道路公団にデザインポリシーを指導するなど、日本の建築界に大きな力を持っていました。

 

しかし私はそうした教育者・建築家としての功績よりも、岸田の、いい意味でキャッチーな言語感覚に魅かれるのです。

岸田は著述家としても知られています。実際のところ、建築作品よりも論文や著書の方が数多いのではないでしょうか。

その言語的センスの良さは、法隆寺など日本の伝統的な建築物について論じた著書のタイトルを『過去の構成』(1929年初版・1938年改版・1951年改訂版)とし、飛行機や自動車など現代の機械についての論じたもののタイトルを『現代の構成』(1929年)としたところにもあらわれています。

 

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『過去の構成』の表紙。建築物を様々なアングルから撮影した写真が多数収められており、撮影者は岸田自身です。

 

本文中の文章も魅力的です。

平安朝以後の神社建築の中には、大陸的建築手法の感化影響を多分に受けたものがある。線も直線の外に曲線が自由自在に駆使され、色彩を豊富に応用したものなどがあり、外観上の華麗さは眩ゆいばかりに輝くものも少くないが、さうしたものにはあまり深い感激を覚えることはできない。(中略)線には各種各様のものがあるが、その基本は直線であり、線がこの基本形式から遠ざかれば遠ざかるほど、我々への引力は弱められると考へてよかろう。曲線から直線へ、楕円から円へ、不整四辺形から正方形へ、そこに現代が見出される。

 

これは、『過去の構成』の中で「神社」について論じた一節です。特に最後の一文が無駄がなく格好いい。

当時、日本のモダニズム建築家を中心に、日本の伝統的な建築様式は直線的であり、大陸由来の建築様式が曲線的であるとする議論がありました。岸田はそうした言説を唱えた先鋒と言えます。

 

しかし今回私が話題にしたいことは、その「曲線か、直線か」(これは五十嵐太郎さんの論文タイトルですが…)のお話ではなく、『過去の構成』に掲載された「朝鮮神宮」の写真についてです。

 

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『過去の構成』より。岸田の撮影による朝鮮神宮。

 

朝鮮神宮は、日本が韓国を併合していた1925(大正14)年に、現在のソウル市南山公園の場所に建設した神社です。 日本による植民地支配の象徴のような建物なので、当然のことながら日本の敗戦をもって廃社・取り壊しとなりました。

しかし、この神社は典型的な神明造なんですよね。しかも本殿から鳥居までが一直線上に並んでいて一望しやすいつくりです。

『過去の構成』には三つの版があり、1929年の初版は500部未満の発行部数のため、私は実物を見たことがありません。1938年版は国会図書館などに所蔵されています。古書店などで、運が良ければ入手可能なのは1951年版でしょうか。

掲載された写真や解説文は1938年版も1951年版もほとんど同じですが、岸田自身によって1951年版では書き直された文章があります。それが1938年版では「朝鮮神宮」(1951年版では前述の「神社」のタイトルに修正)と題された項の最初の部分です。

京城南山の上に聳える朝鮮神宮の鳥瞰的全容である。何といふ素晴らしい構成であらう。(中略)神社の形式から言へば、伊勢神宮内宮外宮を範とする神明造である。直線の霊妙なコンビネーションによつて、かほどまでの美しさと崇高さとが構成されるといふことに、建築の偉大さと不思議さが余すところなく表はれてゐる。

岸田の感情のたかぶりが伝わってくる文章です。これが1951年版ではこうなります。

建築物は、それが建てられる敷地の適否によつて、表現効果がかなり左右される。この神社は、伊勢神宮の内宮や外宮の造りやうを範とした神明造である。敷地が高燥快適であるから、直線の巧みなコンビネーションで構成された建築美がよけいその効果を高めてゐる。

かなりトーンダウンして、なるべく冷静客観的に解説しようと努めていることが窺えます。

ところで、岸田が神明造を示すにあたり、あえて日本の神社ではなく朝鮮神宮の写真を使った理由ですが、これは戦前は伊勢神宮を写真撮影することが許されていなかったためではないかと思われます。たしか戦後になって渡邊義雄が初めて撮影を許可されたのではなかったでしょうか。

しかも、どうやら朝鮮神宮には絶好の撮影スポットというのがあったようで、古い絵葉書に、岸田が撮影した位置とほとんど同じ場所からと思われるアングルのものがあります。

 

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二枚の構図はほとんど一致しています。屋根に落ちた鰹木の影の有無で、別の撮影だとわかります。

本殿から鳥居までが一直線に並ぶ朝鮮神宮の全体像が、俯瞰で一望できます。伊勢神宮を俯瞰で見るなんてことは戦前の日本では許されなかっただろうなとは想像つきますが、朝鮮神宮も同じ天照大御神を祀っていたわけで、なんでこちらは許されて、しかも観光絵葉書まであるのかは謎です。新設の神社だったから、ゆるかったのか?

 

伊東忠太が設計したという朝鮮神宮。戦前の日本の建築家にとって、占領・植民地は日本国内では実現不可能な建築を実現できる壮大な実験場だったのでしょうか。 

 

岸田日出刀の戦前の建築作品のひとつ。

1936年ベルリンオリンピック芸術競技に出品された日本のクラブハウス建築 - Nipponの表象