Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

国際観光局の南方向け映画製作:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の1)

今回も、戦前の対外文化宣伝について取り上げたいと思います。

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鉄道省国際観光局は、1930年代末頃までは、欧米人富裕層向けの観光宣伝を行っていました。この写真図版は、その頃の代表作のひとつである1936年製作の映画『日本瞥見』です。この映画は英語・仏語・独語・中国語版が作られました。そのタイトル通り、日本各地の名所や風物を次々に見せていく内容です。

欧米人観光客を誘致する目的は、外貨の獲得でした。

 

しかし同局は、太平洋戦争開戦以降、急速に宣伝の内容やそのターゲットを変化させていきます。

国際観光局の観光宣伝が当初の「外客誘致宣伝」から外れ、日本の思想宣伝にばかり注力していくことになった背景には、戦況の激化とともに外国人の旅行が制限されるようになった国情がありました。外客誘致事業がほとんど不可能になり、その意味では国際観光局という部署の存在自体が必要なくなってくるのです。

事実、国際観光局は1942年に解散します。

 

一方、戦争に勝つためには日本に味方する他国の存在も必要でした。ドイツ、イタリアなど同盟国のほかに、アルゼンチンほか中立国からの支持も必要でした。もちろん、当時の日本政府が国策の重点としていた「大東亜共栄圏の建設」という構想も、早急に占領地域に啓発宣伝しておく必要があります。

国際観光局はもともと「外客誘致宣伝」 と「思想宣伝」の二つを事業の柱としていましたが、前者は放棄されて後者だけが残り、それは鉄道省内に設置された国際観光協会という財団法人に主に引き継がれました。

 

鉄道省は占領各地域に鉄道網を張りめぐらせていたので、現地調査もしやすく、出来上った宣伝資料の配布も円滑に行なえます。欧米諸国にあった事務所を閉鎖し、替わって占領地(北京・上海・マニラ・仏印ハノイ及びサイゴン・バンコク・シンガポール・ジャカルタ・ビルマ)に新たに事務所を開設していきます。

 

前回紹介した映画『雪に集ふ』(1942年)は、そうした背景のなかで作られました。

南方留学生と観光宣伝映画:国際観光局製作『雪に集ふ』(1942年)が宣伝したいコト(其の1) - Nipponの表象

南方留学生と観光宣伝映画:国際観光局製作『雪に集ふ』(1942年)が宣伝したいコト(其の2) - Nipponの表象

 

ところで、国際文化振興会(以下KBS)にせよ国際観光局にせよ、映画や出版物などを製作する際には当然リサーチをし、それらの結果を分析したうえで内容を決定しています。とはいえ、製作されたそれらが果たしてプロパガンダとしてどれほど効果があったのかは、実際のところかなり疑わしい。

プロパガンダは、他国民よりも自国民に対して、より高い効果があるといわれています。そもそも文化や風習、価値観、歴史の異なる民族に、映画で一方的な思想を刷り込むことは簡単なことではないことを、KBSや国際観光局の関係者たちも理解していました。

というのも、それぞれの機関誌や報告などを読むと、どのような映画を作ればいいのか、映画の中で何を見せ、何を見せないかということに、彼らがとても苦慮していることが窺えるからです。

 

 今回は、国際観光局の南方向け映画の内容が、どのようなリサーチ結果と意図の下に製作されていったのかを三回にわたって紹介します。

 

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鉄道省の対外宣伝活動に関する事業を担っていた国際観光協会は、『対外宣伝の概況』という報告書を出しています。この報告書がなかなか面白いんですねー。

 

まず、どのような内容を宣伝するかということについては、“日本の偉大さや優越性を示すもの”があげられています。

具体的には、

近代的に整備された産業、教育、医学、更に精強なる軍備等の紹介を主たる内容とし、なほ宣伝の第一対象が東亜に置かれることゝなった関係上、その民族の知識程度を考慮して、文字によるものよりは寧ろ映画、写真帖、ポスター等直接相手の視覚に訴へる資料の作製に主力を注ぐこと

(国際観光協会『対外宣伝の概況』昭和18年2月発行)

とあります。

南方地域の住民については教育水準にバラつきがあることから、「読ませる物よりも見せる物」の作製に主眼をおいていました。そのなかでも、映画の宣伝効果については高く評価していました。

これは、いちおう国際観光協会で、印刷物(出版物)・映画・展示物(展覧会出品)・絵はがき・ポスターそれぞれについて、その宣伝効率を数値化した結果から出て来た結論のようです。宣伝資金に対しての伝播力・感応度・宣伝価値などの費用対効果を算出したところ、印刷物が宣伝効率60%、展示物が84%、絵葉書55%、ポスター56%に対し、映画はなんと100%(!)と算出されています。

まあもちろん、この算式そのものが信用できるのかという問題はありますが、ともあれ映画の重要性は強く意識されていました。

 

映画による宣伝の効果は映画の持つ流動性と迫真性の故に極めて大なるものがあり、殊に南方圏や未開の原住民其の他教育程度の低い住民を対象とする宣伝には、その大なる武器の一つとして映画が選ばれねばならない。のみならず大東亜戦争の勃発に伴ひ東亜より米英系映画の全面的退陣を見たる今日、これに代るべき本邦映画の進出に就ては速かに対策を講ずる必要がある。

(国際観光協会『対外宣伝の概況』昭和18年2月発行)

 

南方地域には欧米諸国の植民地だった地域もあり、アメリカ映画やフランス映画もよく観られていました。日本はこれらの地域を占領すると、これら外国映画の輸入・上映を排除します。

現地住民たちに既に深く浸透していた欧米文化からの影響を早く取り除き、日本をアジアの盟主とする価値観を早急に植え付けねばならない、という焦りがありました。

 

国際観光局の映画は、一つの作品に各国の字幕(もしくはナレーション)を付けて、それぞれの地域に配給されます。どこの国向けの映画が多く作成されたのか。その順位は次の通りでした。

 

①中国(中国語・仏語・英語)26%

②東インド諸島(マレー語)20%

③タイ(タイ語・英語)13%

④フィリピン(タガログ語・英語)13%

⑤インドシナ(仏語・ベトナム語)10%

⑥ビルマ(ビルマ語)8%

⑦満洲国(中国語)4%

⑧その他 6%

 

中国向けがもっとも多かったようです。日本に近接する大国であり人口も多い中国は、「大東亜共栄圏」の建設を成功させるうえでの要である、と当時考えられていたためでした。

とはいえ、蒋介石の国民政府と中国共産党が、当時日本政府がイチ押ししていた汪兆銘の南京政府と対立関係にあったり、政情も民意の動向もまとまりがなく、思想宣伝が難しい地域であるとも考えていたようです。

 

それでは、次に具体的な国別の宣伝対策について、『対外宣伝の研究』(国際観光協会発行・昭和17年11月)から、抜粋・紹介していきたいと思います。これらを読むと、日本が当時、どのような民族観や国家観を持っていたのか、その一端が窺えて興味深いのです。

 

(其の2)に続きます。 

国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の2) - Nipponの表象