Nipponの表象

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国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の3)

(其の2)からの続き。

国際観光局の南方向け映画政策:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の2) - Nipponの表象

 

映画はトーキーに在っては視覚と聴覚との鋭い官能から訴へる宣伝資料として思想戦の逸材である。   (『対外宣伝の研究』国際観光協会、昭和17年11月)

 

1930年代から40年代において、映画はラジオよりも、ましてや書籍よりよほど有力な宣伝メディアでした。上記の文献によれば、当時の日本には映画館は約2000館あったそうです。なんと年間の観客数は5億万人(?!)とか。ちょっと、さすがにこの数字は馬鹿げているとは思いますが…(こんな公的な書籍に“子供の言いそうな数字”が出てくるというのもすごい)。

当時の映画館は一館に付きだいたい1スクリーンだと思うので単純比較できませんが、2017年の日本におけるスクリーン数が3525(うちシネコンが3096)ということから考えると、なかなかの数ではないでしょうか*1

ちなみに、戦後もっともスクリーン数が少なかったのは1993年の1734スクリーンで、もっとも多かったのは1960年の7457スクリーンです。

入場者数は、2017年が約1億7000万人ほどで1960年が約10億1000万人ほど。5億万人という謎の数字の真偽はともかくとして、テレビという代替メディアがない戦前なら、映画の影響力は相当なものだったかもしれません(日本のテレビ放送は1953年開始)。

 

さて、占領地の映画館はどれくらいでしょうか。上記文献によれば、

満洲国:140、中国:260(他に重慶側100余)、インドネシア:300、フィリピン:250、マレー半島:120、ビルマ:130、タイ:90、インドシナ:90

ということです。

やはり日本に比べると格段に少なくはなりますが、それでもこれだけの数の映画館に日本映画を供給しつづけるのは、なかなか大変だったようで、外国映画の上映を完全に廃止できなかったのも、ひとつには映画の供給力の問題があったようです。

 

中国と南方地域に輸出する日本映画は、当時、情報局の統制下にあり、劇映画はほとんど輸出せず、ニュース映画と文化映画(今日でいうドキュメンタリー映画に似ているが、演出が多くほぼ劇映画に近いものもある)の輸出に力を入れていました。

しかしニュース映画にしろ文化映画にしろ、日本国内で上映するものをそのまま輸出するわけにはいかなかったようです。日本国内では当たり前の日本の風俗や習慣も、南方地域では違和感や誤解に結びつく可能性があります。

その例として、こんな映画の一場面があげられています。

 

たとへばわれ等の眼に写る画面には、たとえ片田舎のまづしい暮しが現はれやうと、それは一寒村の風物として好ましく受け入れられるが、南方の連中が見れば、日本は矢張民度の低い国であるとの誤解を招く。カフェで帽子のまゝ茶を飲み、自動車に婦人よりさきに乗車するといったやうなことは、わが国の風俗習慣として差し障りのないことであっても、これをマニラや昭南島の映画館で見れば、いかにも日本の文化が遅れてゐるやうに批判されるであろう。 (『対外宣伝の研究』国際観光協会、昭和17年11月)

 

まあ、必ずしも誤解とばかりもいえないような気もしますが、とにかく「貧しさ」や「野蛮」を想起させてはいけないと気をつかっています。

 

また、南方地域住民には音楽好きが多いという観点から、映画の伴奏音楽の重要性についても 分析しています。どんなに優れた編集も、伴奏音楽の如何によってはぶち壊しになりかねないとする強い危惧を抱いていたようで、このあたりは同意できるところでしょう。

南方向け映画に関しては、欧米向け映画とはかなり異なる方針がとられました。

  • 伴奏音楽は重厚なシンフォニーよりも、軽快な分かりやすい音楽。
  • 字幕による解説よりも、ナレーションによる解説。
  • 高度な内容の劇映画よりも、時事・軍の威容・重工業・交通・スポーツ等を扱った文化映画。
  • カメラアングルや芸術性にこだわった映画よりも、軽い、楽しい、笑いのある場面を多く盛り込んだ宣伝映画。
  • 日本人独特の感性に訴える表現よりも、力強く動きの多い表現。

総括すると、「南方向宣伝映画は強く、やさしく、たのしいものゝ組合せがよい」ということになります。

 

では、実際に南方向け宣伝映画として製作された作品とは、どんなものでしょうか。 

『対外宣伝の研究』(昭和17年11月発行)と『国際観光協会昭和17年度事業経過概要』(昭和18年7月)から、タイトルと内容を抜粋したものを以下に紹介します(フィルムの現存は未確認)。

 

『僕等の翼』(中国・マレー・ベトナム・タイ・英語版)

国民学校芸能科の模型飛行機教案を骨子とし、模型飛行機の科学性、知性と情操への影響を描く。

 

『水泳日本』(中国・マレー・タイ・フランス語版)

水の国日本では、少年も若人も水に親しみ、鍛えられている。世界水泳界の覇者である日本人は、水泳を通じて、組織的な研究や烈しい訓練、明朗と不屈の精神を築き上げられる。ラストはベルリン・オリンピックで日本の若人が堂々と戦って欧米人に勝利する感動的な場面で終わる。

 

『都会』(マレー・タガログ・英語版)

都市の朝から夜までの動きを通じ、日本の近代文化と戦時体制下での秩序の正しさを交錯して描く。

 

『雪に集ふ』(中国・マレー・タイ・タガログ・ベトナム・インド・英語版)

演出・撮影:井上莞 (芸術映画社製作)

日本に留学中の「共栄圏」の青年たちが冬季休暇中に雪山に誘われ、彼らは日本人の懇切な指導の下に初めてスキーを体得する。彼らはスキーを通じて民族間の親和協力精神を培う。 

 

『ラジオ東京』(中国・マレー・タガログ・タイ・ベトナム・ビルマ・英語版)

演出:大方弘男、撮影:日向清光、音楽:鈴木静 (日本映画社製作)

 東京中央放送局を中心に、日本におけるラジオの発達状態を描く。ラジオ体操・南方便り・スポーツ放送・進水式実況放送・軽音楽および交響楽演奏・戦況ニュース・海外放送などを素材にする。日本の国力を感じさせることが目的なので、戦況ニュースの場面には米英軍を撃滅する実況を入れる。クライマックスは日本交響楽団員を中心とする88名の大編成による交響曲演奏。

 

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『ラジオ東京』(1942年)より。

この歌手は東宝所属の山根壽子という人のようです。

 

『日本の鉄道・第一集・機関車製造篇』(中国・マレー・タイ・タガログ・英・フランス語版)

演出:太田皓一、撮影:丸子幸一郎・桝谷悦郎、音楽:西山龍介 (日本映画社製作)

『日本の鉄道』シリーズは、日本の国有鉄道の発達状況を示して国力を宣伝し、あわせて南方地域の鉄道に従事する数十万人の現地住民の鉄道職員を啓発指導することを意図し製作。「共栄圏」の住民の大多数は、機関車や飛行機が日本で製作されているという事実を信じていない。そこで、日本の新鋭機関車C59型の製作過程を描写した映画を製作し、日本の科学工業の威力を示す。

 

『日本の鉄道・第二集・列車驀進篇』

演出:太田皓一、撮影:丸子幸一郎・桝谷悦郎  (日本映画社製作)

鉄道の完備する施設や、正確迅速な作業の下に運行する列車の状況を見せ、日本の文化面の高度な発展を示す。

 

『北の健兵』

演出・撮影:井上莞、音楽:山田和男・深井史郎  (朝日映画社製作)

「共栄圏」の住民に、彼らが想像もつかないであろう北方の高原や山嶽や零下30℃の酷寒の雪中で、東亜のために護っている日本軍の威容を示し、信頼感を増大させることを目的に製作。

 

フィルムが残っていれば、これらの映画も貴重な資料ですね。上記映画のいくつかについては、文献資料をこまめに調べていけばもう少し詳しいことが分かりそうです。

またそのうち、今度は個別の映画について、調査から分かったことを記事にしたいと思います。

 

(了)

国際観光局の南方向け映画製作:何を見せ、何を見せないか・・・それが問題だ(其の1) - Nipponの表象

*1:一般社団法人日本映画製作者連盟HPからのデータ