Nipponの表象

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藤田嗣治の対外文化宣伝映画『PICTURESQUE JAPAN(風俗日本)』:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の1)

今年は没後50年ということで、藤田嗣治の展覧会が開催されたり、テレビ・雑誌などで特集されています。

日本美術界においては巨匠に位置する画家です。国内外の名だたる研究者が藤田の絵画について研究しています。

そんな「フジタ」を当ブログで取り上げるとは身の程知らずかもしれません.........が、今回は藤田嗣治が監督した映画という番外編なので、僭越ながら紹介したいと思います。しかもこの映画、試写会を開くなり批判と嘲笑の的となり、結局当初の目的である「海外輸出」が許可されなかったといういわくつきなのです。

 

藤田が監督した対外文化宣伝映画『現代日本』(1937年)については、藤元直樹さんの「映画監督・藤田嗣治 国辱映画論争をめぐって」(『映画論叢』16号、2006年12月)という論文で、藤田がこの映画を撮るにいたった経緯と出来上った映画についての評論家・文化人巻き込んでの喧々諤々の論議が明らかにされています。

また、笹木繁男さんの「藤田嗣治監督の映画『風俗日本』」(『美術の窓』282号、2006年7月)という報告もあります。藤田の映画が完成後「貧しすぎて国辱」とまで言われ、結局一部の関係者以外には非公開とされてしまうに到るまでを、当時の新聞記事から情報を拾い出して紹介しています。

現在さらに研究が進んでいるのかもしれませんが、今回は上記の二つの先行研究と、映画の宣伝用に作成したと思しきパンフレット『Japanese Life in Pictures』(構成:日本工房、発行:国際映画協会、1936年12月)、当時の映画雑誌『映画評論』を参考文献にして、この映画について考えてみたいと思います。

 

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『現代日本』シリーズ・藤田の「風俗日本」の一場面。構図がいいですね。

 

『現代日本』は9篇から成る短編映画集でそのうち藤田が監督した5篇をまとめて「風俗日本」というタイトル、鈴木重吉という文化映画専門の監督が担当した4篇をまとめて「躍進日本」というタイトルが付つけられています。。

『Japanese Life in Pictures』に掲載された9篇それぞれの原題(英語)と邦題は以下になってます。

(丸括弧は筆者の翻訳。カギ括弧は当時の国内メディアでの通称)

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JAPANESE LIFE SERIES(日本の生活シリーズ)『現代日本』

 

PICTURESQUE JAPAN(美しい日本)「風俗日本」

Directed by Tsuguji Foujita 藤田嗣治

1.Sons of the Rising Sun.(日出ずる(国の)息子たち)「子供日本」

2.A Day with Japanese Maidens.(日本の乙女たちとの一日)「婦人日本」

3.Japanese Countryside.(日本の田舎)「田園日本」

4.Tokyo Rhapsody.(東京ラプソディ)「都会日本」

5.Play-Time in the City.(都市の興行時間)「娯楽日本」

 

GLIMPSES OF NEW JAPAN(新日本瞥見)「躍進日本」

Directed by Shige Suzuki 鈴木重吉

6.Industrial Life.(産業生活)「産業日本」

7.Children at School.(学校の子供たち)「教育日本」

8.National Defence.(国防)「国防日本」

9.Sports.(スポーツ)「スポーツ日本」

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旧・国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)には、そのうち藤田の「子供日本」と、鈴木の「産業日本」「教育日本」が収蔵されています。現存が確認できるのは今のところこの3篇だけのようです。

 

前述の藤元論文によれば、藤田をこの映画の監督に起用したのは、外交省で国際交流担当だった柳沢健でした。柳沢は、1927年に仕事の関係でパリにいた藤田と知り合い、以後交流を深めていったようです。1934年頃、柳沢は藤田がメキシコで撮影した16ミリフィルムを目にする機会があり、その映像に感心し、そこから国際文化交流のための映画製作の構想と、その監督に藤田を起用する案を膨らませていったということです。

外務省で国際交流といえば、国際文化振興会。同じ1934年4月に発足した同会では、なんと「マダム・バタフライ」を藤田嗣治監督、三浦環主演でPCLで映画化する計画があったとか。『読売新聞』に報じられていることなのでかなり確度の高い話であったはずですが、なぜかこの企画はなくなり、約一年後、『現代日本』が東亜発声ニュース映画製作所で作られることが決定されます。

ちなみに『現代日本』は国際文化振興会ではなく、国際映画協会(1935年設立)が企画・配給したものです。同会は、翌年に外務省の外郭団体となりましたが、後に事業は国際文化振興会に継承され、解散しました。

 

当初の「マダム・バタフライ」の企画から『現代日本』製作に変更されるまでの間に何があったかは不明ですが、「マダム・バタフライ」は日本文化の宣伝という点ではかなり微妙な題材なので、反対意見があったのかもしれません。

映画のロケ地は鹿児島・熊本・松山・広島・大阪・京都・飛騨・木曽・秋田・東京など広範囲に広がっています。これだけでも力の入り様がわかります。映画に登場する子供たちや女性なども、一般人の中からイメージに合う人物を探して抜擢することにしたため、キャスト探しには苦労したようです。

前述の笹木氏の報告には、1935年11月13日付の『海南新聞』に掲載された藤田の談話が紹介されています。それによると藤田は、この映画が全国でロケ撮影して作られることについて、「九州の男性的、四国の女性的、東北の暗さの三明暗を配置して京都・奈良・日光などのありふれたものと違った「素地日本」を全世界に宣伝する」云々と述べているようです。藤田による日本の地域性の解釈も興味深いですが、とにかく「ありふれたものと違った」日本を見せようとしていたわけです。この映画は、英独仏西の四ヵ国語版が作られる予定だったので、やはり監督する上で藤田の念頭にあったのは、ヨーロッパの観客だったのでしょう。

 

映画の全体像をつかむために、参考文献の情報から、藤田が監督をした各篇がどのような内容だったかを分かる限り以下にまとめてみます。

 

藤田嗣治監督「風俗日本」の内容

5巻、5千フィート。1935年8月15日に藤田の監督起用が発表される。同年10月から撮影開始、翌年6月に撮影完了。音楽は吉田晴風・小松清雨。カメラは三浦光雄。 

 

プロローグ

・山田耕筰が新日本交響楽団を指揮するシーンと、懐から猫が飛び出すのと同時に藤田が立ち上がってロケへ出かけるところから「田園日本」篇へとつながる

注)柳沢健により上記部分の脚本が書き下ろされたらしいが、実際にその場面が撮影されたかは不明。

 

 1.「田園日本」

・鹿児島・熊本・飛騨・木曽・秋田の風俗を描写

・鹿児島の祭り“太鼓踊り”の行列と踊りの紹介

・馬に乗って畑から帰ってくる阿蘇山地の農民の紹介

・桜島の若い女性が頭に籠を載せて物を運んでいる場面

・雪国の子供たちの紹介。“カマクラ”でままごと遊びをする少女たち。少女たちはメーキャップをしている

・蓑帽子と半纏で防寒して外出する少年たち

・雪ソリで遊ぶ小さな子供たち

 

2.「子供日本」

・四国松山を舞台に、無邪気な子供たちの生活を紹介

・村の床屋で頭を刈り上げてもらう子供の姿

・石投げして遊ぶ子供たち

・紙芝居をみる子供たち

・城の石垣を背景に子供たちががチャンバラごっこをし、子供の一人が最後に切腹の真似をする

・チャンバラごっこの子供たちはメーキャップをしている

  

3.「婦人日本」

・裕福な家庭の娘がどのように一日を過ごすのか紹介

・長唄のお稽古のために外出する娘の身支度を女中が手伝う場面

・長唄の師匠の家を訪問し、稽古をつけてもらう場面

・同じような裕福な娘数人が、談笑しながら連れ立って帰宅する場面

 

4.「娯楽日本」

・洋服を着た娘と和服を着た娘が物語の中心。東京の娯楽街が舞台。

・「純日本趣味の姉とモダン色ゆたかな妹」の姉妹が歌舞伎へ行かうか、レヴューにしようかで喧嘩する。姉は「三番叟」へ、妹はレヴュー、キネマ見物へ出かける、というプロローグが当初予定されていた

・「三番叟」を舞う段四郎、猿之助の沢潟屋親子の舞姿が撮影された

が、この場面が映画に使用されたかは不明

・二人の娘が、芝居や東おどりなどを観てまわり、ダンス場へ出掛け、桜の下にハイキングに行く 

 

5.「都会日本」

・浅草の易者の預言から、物語が始まる

・浅草の俯瞰場面に阪東妻三郎の剣戟映画が挿入される

・藤田自身がルンペン(あるいは泥棒)に扮して出演している。悪事を働き横浜の波止場から変装して高飛びしようとするが、警視庁が出動し、藤田は捕縛される

 

 

どんな映画だったのか、少しは想像できたでしょうか。 

「子供日本」は私もかなり昔に観ましたが、すでにほとんど記憶が薄れてしまっており…もっとも「切腹」シーンだけは強烈だったのでよく覚えているのですが。

 もっと多くの資料を探せば、もっと詳細な内容が分かるかもしれませんが、それは今後の研究にお任せしたいと思います。

 

ざっと内容を見た感じ、かなり取り留めがないというか、無邪気で無害な内容に思えます。偏ったイデオロギーを喧伝してる訳でもなく、言ってみるならば“横浜写真”の映画版とでもいった印象です。

 

何が、この映画を観た人々の気に触ったのか?なぜ「国辱」なのか?

 

次に、この映画に対する映画評論家や文化人、関係者のフルボッコぶりを紹介したいと思います。そして、この映画の何が「国辱」とみなされたのかという点について考えてみます。

 

(其の2)に続きます。  

藤田嗣治の対外文化宣伝映画:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の2) - Nipponの表象