Nipponの表象

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藤田嗣治の対外文化宣伝映画『PICTURESQUE JAPAN(風俗日本)』:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の2)

前回では、『現代日本』のうち藤田が監督した「風俗日本」各篇に関する情報を、文献資料から抽出して並べてみました。

藤田嗣治の対外文化宣伝映画:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の1) - Nipponの表象

 

対外文化宣伝映画の多くは、劇映画のように一つのストーリーがある訳ではなく、断片的なイメージの集積で構成されているものが多いです。藤田の映画でいえば、「田園日本」「子供日本」「婦人日本」がそのタイプでしょう。

しかし「娯楽日本」と「都会日本」に関しては、小話仕立てになっていたようです。

現存していれば観てみたいのは断然、後者のほう、とくに藤田自身が出演する「都会日本」ですね。藤田のルンペン(泥棒?)姿を観たいですね。

 

フジタの気持ち:映画製作のポイント

ところで藤田自身はいかなるつもりでこの映画を作ったのでしょうか。『現代日本』のパンフレット 『Japanese Life in Pictures』(国際映画協会、1936年2月)には、藤田自身による映画の紹介文が収録されています。

原文は英語と仏語。拙訳ですが、翻訳したものを以下に掲載します。

 

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『現代日本』シリーズ・藤田の「風俗日本」の一場面。「田園日本」篇でしょうか。

 

外国人が好むと思われた映画の多くが、その期待に添えられなかった。日本のやり方は西洋とは違うし、日本人にはよく分かっている習慣も外国人には戸惑うことが多い。そこで私たちは、日本に関する知識がなくても容易に理解できる日本的特徴を選んだ。日本を訪れる外国人は、他の国にはないさまざまな面白いものに楽しい印象を抱いて帰国することがよくある。この映画にも同様の結果が期待される。

私たちは、年に1度、地方の村で開催される特別な民俗舞踊など、まれにしか観られない出来事を描くことは避けた。その代わりに、日本人の生活そのものであるシンプルな出来事や日常的な行事を紹介しようとした。これらは美しさ、興味、多様性、時代の精神に富んだ素朴な物語の中に織り込まれている。進歩的な近代国家の活動の裏に流れる伝統的な日本人の生活の人情味あふれる雰囲気を、観客に伝えたいと願っている。

私たちは、すべての人にアピールし、すべての人に理解されるような映画を作るよう常に心掛けた。

藤田嗣治

 

ここでのポイントは、

①日本に関する知識がなくても容易に理解できる日本的特徴を選んだ

②年に1度、地方の村で開催される特別な民俗舞踊など、まれにしか観られない出来事を描くことは避けた

③日本人の生活そのものであるシンプルな出来事や日常的な行事を紹介しようとした

④すべての人にアピールし、すべての人に理解されるような映画を作るよう心掛けた

ということになります。

 

どうやら藤田としては、ことさら日本のエキゾチックな側面を強調する外国人受けのいい映画ではなく、既に近代国家としての道を歩んでいる日本の日常の姿をみせたかったようです。

もっとも、藤田のパートには、日本の社会制度や近代的な設備などを紹介するようなところは全くありません。そういった部分は、もう一方の鈴木重吉のパートが担っているのです。むしろ藤田のパートのほうは、現実離れしたファンタジックな世界のようにすら感じられます。

 その一方で、「ありふれたものと違った日本」を見せたいとも別のインタビューでは語っているので、そういった新奇性が発揮されたのかもしれません。

芸術家の場合、オフィシャルなところでの発言がそのまま本音であるとは限りません。上記の文章を読む限りでは常識人のように見える藤田ですが、彼の本質はやはりその作品に最も濃厚に、露わになっているように思えます。

 

批評家たちの反発と酷評の中身 

フィルムが現存していればここで実際の映画の分析ということになりますが、残念ながら無いので、藤田の「風俗日本」に対する当時の映画批評を参考にしながら、藤田およびこの映画の本質ついて考えてみたいと思います。

 

 雑誌『映画評論』131号(1937年2月)では輸出映画について特集しており、『現代日本』のスチール写真といくつかの批評が掲載されています。これらを読むと、「風俗日本」の何が「国辱」と受け止められたのか、藤田のやり方の何が問題視されたのかが浮かび上がってきます。そしてそれこそが、藤田嗣治という芸術家の良くも悪くもうろんな部分をよく映し出しているように思えるのです。

 

まず兼子慶雄の評論「輸出映画の問題――『現代の日本』を中心として 映画日本」(『映画評論』131号)から見ていきます。

とまれ本篇は、自他共に許す大変なる劣作であった事は、見た者の誰れもが認める処であらう。

(中略)

各篇が内容とする処の各主題に対する見方に至っては、その内の一二を除いては余りに思ひ付き的であり、頗る独りよがりであり、何よりも国辱的なのである。

 

「自他共に許す大変なる劣作」とまで言い切っています。しかし読者に親切なことに、続いて各篇のどこがどう「国辱」なのかを細かく指摘しています。

「子供」篇は対外的にばかりではなく国内に於てさへも種々と非難されてゐるチャンバラをわざと子供にさせて、所謂時代物の剣戟風景を、嘘とは知りつつ現実的に肯定してゐるのである。(中略)

「婦人」篇は所謂ゲイシャガールの概念を一歩も出たものではなく、「娯楽」篇はただの新旧お芝居の覗き見みたいなものであり、「都会」篇に至っては、最早巴里会の茶番劇以外の何物でもない。こんなふざけたストオリイは八ミリでも撮る奴はないだらう。(中略)

「田園」篇に於ける愛国的な半分はメキシコ風景であり、雪国のそれは云ふまでもなくエスキモーである。

 

チャンバラ場面(と最後の“ハラキリ”場面)は他の論者からも不評なのですが、どうやら当時でもチャンバラごっこを子供の無邪気な遊戯とは捉えてはいなかったようです。

最後の「田園」篇に対する批判は、注目すべきものがあります。もちろん「風俗日本」に海外ロケはありません。つまりここで兼子は、日本の“辺境地”に向ける藤田の視線のあり方そのものに批判の眼を向けているわけです。民族的には日本人であっても、長い欧州暮しとその独特の性格によってかなりヨーロピアンナイズ(?)されていたであろう藤田の“異国人としての眼差し”が、もっと言えば先進国が後進国に向ける好奇と優越の眼差しが、ここで指摘されているのです。

 

藤田の「日本」に対してむける眼差しが、本人が自覚している以上に外国人に近いことは、他の批評家たちも言い方は違えど同じように指摘しています。

 

村尾薫の批評「日本映画輸出の具体案」(『映画評論』131号)もまた、この点を指摘しています。

 

村尾の批評は、その大半が『新しき土』*1に関する内容で占められているのですが、比較の材料(悪い方の)として『現代日本』が俎上にあげられています。

 

村尾は、外国人の多くは日本に関する知識をほとんど持たないため、一本の映画の中で「古い日本」と「新しい日本」の両方を描かないと誤解を招く危険性があると考えていました。なぜなら古い日本のみを見せると旧弊で野蛮な国だと誤解されるし、また一方で近代的な日本のみを見せると、日本はただ欧米の模倣をしているだけで独自の魅力を失っていると思われるからです。

 

さて、その視点から『現代日本』を見た場合、藤田の監督したパートは古い日本を主とし、鈴木の監督したパートは新しい日本を主としている訳で、その意味では輸出用映画として過不足ないものと言えるはずです。しかし…。

鈴木氏の作品はまづまづ無難であるが、藤田氏の作品は、アメリカあたりのニュースカメラマンが来て日本の殊更珍らしい風俗を探して撮って行った国辱的ニュースとどれだけの隔りがあらうか。あまり永く海外に滞在した藤田氏は却って日本人の感覚もなくしてしまったのではあるまいか。(中略)

全体としての統一が全然なくて、一巻の映画の中でも支離滅裂で、しかも不自然なわざとらしい場面が多い。(中略)

藤田画伯は殊更自分の画枠に一つ一つの画面を当てはめようとして却って失敗したと思はれる。(中略)

藤田氏の作品『子供日本』『娯楽日本』の如きは現代日本の宣伝に役立たないことは明らかである。藤田画伯をわづらはすなら、寧ろ画伯の専門の仕事に近い方面で、日本の絵画、彫刻、建築等の美術や庭園、茶の湯、生け花などの趣味の方面を紹介する映画を作ってもらった方がはるかによかっただらうと思はれる。

 

藤田のために言っておくと、彼は後年、国際文化振興会の主催した海外展覧会で講演をしたり、その他、いわゆる「専門の仕事に近い方面で」日本文化の宣伝に貢献しています。

村尾の批評には、専門外の仕事である映画監督に進出した藤田に対する苛立ちがあります。村尾自身が対外宣伝映画の製作に深く関わってきたことから、映画制作の基本を踏まえていない素人と感じたようです。

実際、藤田は映画的話法や技法などほとんど頓着していなかったと思われます。

 

しかし、もしかすると藤田にとってはそんなことはどうでも良かったのかもしれません。

 

というのも、次に紹介する澤村勉の批評「現代の日本」(『映画評論』131号)を読むと、これらの映画におけるトリッキーな藤田の演出に、何やら確信犯的匂いが漂っているからなのです。

 

(其の3)へ続きます。 

藤田嗣治の対外文化宣伝映画:外国人目線で作ったら...こうなった?!(其の3) - Nipponの表象

*1:実はこの年、『現代日本』よりはるかに大きな話題となった「海外輸出用国際映画」が製作された。ドイツの有名監督アーノルド・ファンクを監督に招き、東宝系のJOと東和商事が共同で製作した劇映画『新しき土』である。まだ17、8歳ぐらいだった原節子が重要な役で出演していることでもよく知られている。