Nipponの表象

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まぼろしの映画:国際文化振興会製作『日本華僑生活之状況』(1940年)

国際文化振興会(以下KBS)が、アジアに対する宣伝工作に路線変更してから製作した映画には、現在からみて興味深い作品がいくつもあります。

しかし残念なことにそれらはフィルムの現存が確認できないものが多く、今となっては文献資料からのわずかな情報を頼りに推測するしかありません。

まぼろしの映画:国際文化振興会製作『興亜三部曲』(1939年) - Nipponの表象

そこで今回も、そんな‟まぼろし”の一本を紹介します。『日本華僑生活之状況』(1940年)です。

 

 この映画については、KBSの機関誌『国際文化』第10号(1940年8月)に紹介記事とスチール写真が掲載されています。

映画の内容はタイトル通り、日本に長年居住する中国人たちの生活や中華街の様子を撮影したものです。

 

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『国際文化』第10号より。
 

この映画の撮影場所は横浜の中華街です。ある日の朝から夜までの一日という設定で、中華街に暮らす人々の日常や、そこを訪れる日本人との交流、周囲の日本社会との融和を示す様々な場面を織り込んでいます。

 

誌面に掲載された写真とキャプションから、映画の構成内容を以下に再現してみます。(カギ括弧内はキャプションの引用)

 

1.朝の中華街の風景

「朝の支那街の一画、中華アパートの下で日本娘が、『明さん、買物に行かない?』」

2.朝市の場面

「何処の支那街も同じ、此処でも朝市は賑ふ」

3.小学校の校庭で整然と体操をする子供たち

「中華公立学校――整然と並んで建国体操をする児童達」

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4.校庭を笑顔で走り回って遊んでいる子供たち

「次の時代を引受ける少年少女達の楽しさうな元気な姿」

5.中華会館の建物

「中華会館――街の中央にあって僑民の思想や生活の指導者となり世話役となってゐる」

6.中華街のあちらこちらの通りと様々な店の看板。中華雑貨商の店内。

「七十五年の繁栄の歴史を持つ支那街」

7.横浜港にて到着した客船を迎える中国人

「此船で広東の学校を卒業した私の甥がやって来ます。東京の医科大学に入学するのです」

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8.医科大学の手術室。学生たちがガラス越しに注視する中で教授が手術

「日本の医学は華人留学生を通じて支那大陸に送られる」

9.どこかの会場の演壇。式辞を読む人物とその両側に居並ぶ式服を着た10人程の男性

「中華協会の発会式」

10.客で賑わう中華料理店の店内

「日本人は支那料理が好き」

11.雀荘の店内。麻雀を打つ男性客

 

『国際文化』の誌面から分かる情報はここまでです。実際の映画には、もっと多くの場面が入っているのかもしれません。

フィルムが残っていれば、多少の演出が入っていたとしても、戦前の横浜中華街の様子が分かる貴重な映像資料でもあるのではないかと思います。

 

ところで、従来のKBSの映画の場合では主題はもっぱら日本の伝統文化や日本人の生活、日本の風俗などであり、それらを外国人(主に欧米人)に紹介することが製作目的でした。

 

ではこの映画は誰に向かって、何のために製作されたのでしょうか?

 

日本に移住した華僑は、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡・長崎など全国に分散居住していましたが、満洲事変後は数がほぼ半減したということです。それでも約一万人以上が上記の都市を中心に居住しており、様々な職業についていました。

 

華僑といえば、世界各国に居住する華僑どうしのネットワークの強さが知られています。当時の日本政府は、特に南洋方面・インド方面・極東方面に居留している華僑が長い年月をかけて築いたネットワークの経済的・政治的な力を、「黙過出来ぬ大きな存在」と捉えていました。

 華僑の中でも特に日本品の輸出に関わる貿易商は、南洋方面の華僑と経済的に深い関係にあり、日本政府は時局柄、彼らの動向に注視していたようです。

 

『日本華僑生活之状況』は、日本にいる華僑の‟平穏で幸福な生活”を、他の地域の華僑に見せるために作られたのでした。

 

此映画はかうした華僑に呼びかけるために製作したものであるが、其内容は此事変下にあって、日本に居る君達の同胞は如何に暮してゐるだらうか?彼等は何等かの脅威を感じてゐるだらうか?此の疑問に答へてゐるのである。

(「国際文化振興会製作 日本華僑生活之状況」『国際文化』第10号)

 

 日本国内にいる華僑はもちろんのこと、日本の占領地・植民地にいる華僑を反日的な存在にしてはならない、できればむしろ日本に協力的な存在にしたい...との思惑が日本政府にはありました。

それは日本が推し進めようとしていた「大東亜共栄圏」という‟夢”の実現に、彼らの協力が必要だったからでした。

日本で同胞の中国人が平穏に暮らし、日本人とも穏やかに交流している姿を見せることで、彼らの警戒心を解こうとしたのでしょう。

 

この映画の字幕は北京語版と広東語版が作られました。