Nipponの表象

昭和戦前期・戦後期の写真・デザイン・映画をテーマに書いてます

まぼろしの映画:国際文化振興会製作『産業日本』(1941年)

この映画は‟まぼろし”ではないかもしれません。

 

国際文化振興会(以下KBS)は1939年以降、アジア(主に日本の占領・植民)向けに映画を製作するようになりました。

まぼろしの映画:国際文化振興会製作『興亜三部曲』(1939年) - Nipponの表象

まぼろしの映画:『日本華僑生活之状況』(1940年) - Nipponの表象

 

残念なことに、こうしたアジアの観客に見せるために作られた映画は現存するのかどうかも分からず、今のところ雑誌など文献資料から内容を確認するしかないようです。KBSが1940年代に作った映画としては、以前、当ブログで紹介した『銃後の体育』(1943年)が現在観ることができますが、こちらの映画の場合は逆に文献資料に情報がないので、製作事情など詳細がわかりません。

プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の1):国際文化振興会製作『日本の小学校生活』(1937年) - Nipponの表象

プロパガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の2):板垣鷹穂企画・飯田心美監督『小学校』(1937年) - Nipponの表象

プロバガンダ映画に描かれた「学校生活」(其の3):国際文化振興会製作『銃後の体育』(1943年) - Nipponの表象

 

 そんななか、今回紹介する『産業日本』(1941年)は、国立映画アーカイブに同タイトルのフィルムがあります。

 

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『国際文化』第14号より(以下同じ)。

 

国立映画アーカイブの所蔵する映画を観る方法は、二つあります。一つは、同館が一般観客向けに企画する上映会で観る方法。これは上映スケジュールの中に観たい映画が入っていれば、最も簡単な方法です。当日、行って鑑賞料金を払えばいいだけなので。

しかし、超マイナーな映画や鑑賞したい人がごく少ないと予想される映画の場合は、その作品が企画に入ること自体がありません。その場合は、第二の方法があります。特別上映を申請するというものです。

 

この「特別上映」が、とってもハードルが高いのですね。

特別上映を申請する際には、申請者が所属する組織のトップの方の印鑑が押された書類が必要です。大学なら学長、研究所なら所長でしょうか。これがフリーランス研究者には、越えられない大きな壁です。

したがって、今回の映画はフィルムはあるようですが、またしても文献資料からの紹介となります。もし幸運にもフィルムを観ることができた方がいれば、その際の感想・意見など当ブログに寄せてくれると嬉しいです。

 

映画は「重工業篇」「軽工業篇」「技能篇」「労働生活篇」の4篇が企画・構想されました。『国際文化』第14号(1941年6月)には、このうち「重工業篇」と「労働生活篇」が完成したことが報告されています。国立映画アーカイブに所蔵されているのはまさにこの2篇です。「軽工業篇」「技能篇」が完成したのかどうかは分かりません。

 

『国際文化』第14号では、「重工業篇」と「労働生活篇」の簡単な内容紹介記事とスチール写真が掲載されています。

その記事によれば、映画の内容は以下のようなものでした。

 

「重工業篇」:撮影カメラマン・吉野馨治(東宝)、音楽・早坂文雄

日本の高度に発達した産業科学施設・豊饒な生産力・充実した資源と労働力の三つの面から、重工業の全貌を表現。これまで映画化されたことのない製鉄・飛行機・自動車・造船・機関車・兵器・タービン・電気機・電気工作機械などの業界に取材し、力強い生産力を見せる。

 

「労働生活篇」:撮影カメラマン・井上莞(芸術映画社)、音楽・伊藤宣二

労働施設と労働者の生活に着目して、日本の労働力の優秀さと豊富さを見せる。少年養成工・女工・青年工・熟練工がそれぞれの職場で働く姿と、余裕のある働きやすい生活環境を見せ、日本の労働・文化生活の向上と発展を示している。

 

何となく想像がつきますか?…いや、情報が少なすぎますね。

スチール写真を見ると少しイメージが湧きます。「重工業篇」は、工場などの生産現場を撮影したものらしく、機械(モノ)を中心にしたダイナミックな構図がなかなか迫力あります。

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これは自動車工場でしょうか。

 

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製鉄所や造船所の具体的な名称はこの記事からは分かりませんが、おそらく『興亜三部曲』の「興亜序曲篇」に登場したのと同じ八幡製鉄所や川崎造船所だったのではないかと推測します。

 

 一方、「労働生活篇」のほうは、働く人々の勤務中の姿と休憩時間の姿を対比的に見せているようです。

 

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勤務中の女工さん。

 

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スポーツで健康増進。

 

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働く熟練工。

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ピアノ式アコーディオンが懐かしい雰囲気。音楽活動で気分一新。

 

こうして写真だけ見ると面白そうな映画に思えますが、これらの写真は当時、K.B.S.PHOTOという国際文化振興会の写真ライブラリーのカメラマンだった土門拳、山川益男、杉川吉良、若松不二夫、木村伊兵衛が撮影したものです。

だから画面構成がいいんですね。

 

実際の映画の場合は、また印象が違うかもしれません。

 

さて、最後に、この映画は何を目的に作られたのかという点に言及しておきたいと思います。記事には以下のように書かれています。

 

この映画は東亜共栄圏の盟主として名実共に備はる日本を、産業方面から圏内諸国に紹介しようと云ふ目的で、企画されたもので、日本産業の全貌を示すと同時に、その特異性を表現し、我国の産業的威力を示したものである。 

 

この映画は、内閣情報局の後援を得て作られました。

機密保持が求められる戦時下で、あえて航空機や機関車、船などの製造工程の一部を見せたり、製鉄所や造船所、鋳物工場等の内部を撮影することを当局が許可したのも、日本がアジアで最も近代化が進んでいる国であることをアピールするためでした。加えて、労働環境の良さもアピールすることで、日本に対する好印象も引き出したいという計算がうかがえます。

 

よくよく考えれば、この映画に登場するのはいわゆる当時の先端企業・大企業の労働者ばかりで、当時の日本においてはかなり恵まれた立場の労働者といえます。

まったくの虚構というわけではないけれど、日本の労働者のうちのごく一部の姿だったといえるでしょう。